meno mosso〜これまでよりゆったりとした人生を〜

今後5年間でやりたいことの中に「エッセイを書くこと」と書いてしまったので、人の目に触れさせ、自分の言葉を磨いていこうと思う。

磁石

磁石にはプラス極とマイナス極がある。境目のところで二つに切っても、必ずもう片方が新たに生まれるのだそう。

人間も同じ。いいところもあれば悪いところもある。どちらもないと存在し得ない。

長所と短所。ポジティブとネガティブ。嬉しいことと悲しいこと。

両者があって私が成り立つ。マイナスだと感じることも受け入れよう。反対には必ずプラスが存在するから。

思いやり

思いやりとは豊かな想像力によって成り立つものだと考える。想像したあとは、小さな勇気を出して行動に移す。

この人は何をしてほしいのか。何をしてほしくないのか。まずは相手のことを「思い」、それを「やる」。

検索すればすぐに答えが出てくる世の中、人の気持ちだけは検索してもヒットしない。調べることはできるが、正解は出てこない。あらゆるパターンを推測し、タイミングと人を選んで行動する必要がある。

思いやりとは豊かな想像力と行動する勇気。これに尽きる。

パン屋さん

実家に帰るときにいつも通る、気になるパン屋さんがある。2年間くらい気になっていて、やっと今日、足を踏み入れた。

さて、今日はそんな話ではなくて、そもそものパン屋さんについてのお話。

私はパン屋さんが大好きだ。パンが好きだけど、スーパーやコンビニのパンには魅力を感じない。パン屋さんのパンにこだわりがある。なぜかというと、パン屋さんの香りが好きだから。そして、パン屋さんの雰囲気が好きだから。かわいらしいパンがたくさん並んでいるのが好きだから。

でも、いちばんの理由は、パンとの出会いがあるから。パン屋さんって、いつも全種類のパンが並んでいるわけではない。好きなパンが残りわずかと並んでいる時もあるし、選んでいる時に「○○焼きあがりました」と出てくる時もある。あれが食べたいと思って行ってもない時があるし、まったく食べる気がなかったけど美味しそうに見えて食べる時もある。

パン屋さんでの滞在時間はほんの5分程度。その中で出会うパンがある。

パンとの出会いは運命的。私の到着とパンの焼き上がりが重なった時だけに食べられる。そんなところがパン屋さんの好きなところなのである。

夢のあるひとへ。

夢-現実=課題なのだそうです。

夢(目標)があるとき、そこから現実を引く。すると、残った部分が現状の課題となる。その課題をクリアするためには何をしなければならないのか、明確にして実行すれば夢に近づく。言われてみれば確かにそうで、気づけば気づきそうなのに、今まで気がつかなかった。もっと早く気がついていれば、もっと早くこの言葉に出会えていれば、人生は違ったのかもしれない。

この人生、後悔はしていないし、今は非常に充実している。もし、次の夢が見つかったときは、この計算式で夢を叶えられたらと思う。

ちょうどよく生きる

野菜は、肥料を与えられて栄養を吸収しやすくなると、根を伸ばさなくなり、大きく育たないらしい。

トマトはアンデスの高原地が原産だから、水を与えすぎると甘くならないらしい。

人間が手をかけすぎると逆効果。栽培に限らず手加減を知るべし。

とんびがゴミを漁ったり、人間のお弁当をさらったりする。人間が自然の摂理を壊したから穏やかな鳥がカラスのようにずる賢く生きるようになってしまった。

自己中心的に生きると他のところに影響を及ぼす。自然界に限らず他の人の性格を変える原因を作るべからず。

世界はちょうどよくできている。特に地球はちょうどいいが重なった奇跡の星である。下手に手を加えて本来の力を封印しないようにしなければならない。

人間を育てるときもそうなのかもしれない。

ドーナツ

久しぶりにミスタードーナツを食べたら、ふとある記憶が引き出された。

子どもの頃、父親が飲み会のあとは必ずミスドをお土産に買ってきてくれていた。駅にあったミスドでちょうど1000円パックが売ってある時間だったのだろう。父が帰ってくる頃には寝ているか、起きていても歯磨きをしたあとだったので、次の日の朝ごはんになることが多かったのだが、それが一つの楽しみだった。チョコドーナツに黄色のつぶつぶにするか、白のさくさくにするか。妹たちと三人で、箱の中に顔を寄せ合った。

子どもの小さな楽しみ。父にどんな意図があったのかは分からないが、お酒で楽しくなった父の、幸せのお裾分けだったのかもしれない。

父飲み会枕元にはミスドかな

 

リーダー

学校の先生を職業としているが、そもそも私は人の前に立つことが苦手だ。どうして教壇に立てているのか、不思議に思うこともある。人の前に立ち、人を導く。そんな気負いがふと解けた瞬間があった。教会で羊飼いのお話を聞いた時である。

羊は群れで生活することしかできない。でも個性があるから、羊飼いが群れを統率する。羊飼いはどこから羊を見ているかというと、群れの一番後ろ。後ろからはぐれる羊がいないように見守ってあげる。リーダーと聞くと、「先導者」と訳してしまう人が多い。でも、羊飼いは羊のリーダーであるが、先導はしない。後ろから見守る役目。イエスさまも迷える小羊である人間をそうやって守ってくださるのだ、と。

そのお話を聞いた時、自分の中の気負いがふっと解けた。教師って子どもたちの前に立つことが全てではない。むしろ、迷っている子を見落とさないように後ろから着いていくことも大切なのかもしれない。

私は人の前に立つより、後ろから静かに見守る方が得意だ。だから、この羊飼いの役割をしっかりと果たそう。学校の中に何人かそんな先生がいてもいいだろう。