meno mosso〜これまでよりゆったりとした人生を〜

今後5年間でやりたいことの中に「エッセイを書くこと」と書いてしまったので、人の目に触れさせ、自分の言葉を磨いていこうと思う。

一本の電話

不快なことがあった。きちんと考えて行った指導が間違いだったようなニュアンスのことを言われた。目の前の子どもたちと向き合っていない人にそう言われた。どうして正しいことをした子まで巻き込んで指導する必要があるのかがわからなかった。一度であればいい。何度もだったから、最後くらいは控えたかった。最終的には、こちらの意見を汲んでもらい、最終指導となったが、余計なひとことがついてきた。やっぱりこちらサイドがしたことが誤りだというようなこと。それで一気にやる気がなくなった。指導方法が対立してしまった先生たちに対しても、ルールを守らず嘘をついた生徒に対しても、不信感を抱いてしまった。正しく考えて正しく判断して正しく行動する人間を育てたいだけなのに、どうして親からのクレームや生徒の反発の処理の仕方を考えなければならないのか。今のご時世、そうでなければならないのか。そうであるのならば従うしかないのであろうが、それでは教育者である意味って……

 

落ち込んだ気持ちを奮い立たせたのは、一本の電話だった。本来であれば、私とは逆サイドの意見を持った方が楽であろう先生からの電話。出張で学校にいなかったにもかかわらず、日中の電話でのやりとりに疑問を持ち、こちらがきっと落ち込んでいると推測して、夜にくださった電話。

 

先生たちが考えて指導したことを謝る必要はない。頑張った人の尻拭いをするのが自分たちで、それでもだめだったら管理職が尻拭いをすればいいだけ。一番耳を傾けないといけない人の声を聞かない判断になってしまってごめん。その場に居られなくてごめん。

 

22時過ぎてからの電話だった。多用な中でも今日中に話しを聞いてあげないとと配慮してくださったのだろう。2年間で正直に生きようとする生徒を育てられなかったと指導力不足を痛感している中だったからありがたかった。マナー違反の時間なんて関係ない。すぐに電話をきないとと思い、行動に移してくださらなかったら、今日は仕事を休んだと思う。

 

タイミングって大切だ。フォローって大切だ。まだ心が快晴とまではいかないが、雨模様から曇り空にはなった。嫌なことはこれからもある。でも時代に流されない教育があることを信じたい。さて、踏ん張るしかないな。